『てまり心』 良寛さまには、”てまり(つき)”に託した”てまり心”があったんですね。
『この里に 手まりつきつつ 子供らと 遊ぶ春日は 暮れずともよし』の短歌があります。
子供ら(やがて奉公人)に楽しい思い出を多く残してあげたい”あたたかい心”があり、
早い日没を嘆いておられるようですね。また、
『一箇繍毬打又打 自誇好手無倫匹 此中意旨若相問 一二三四五六七』の漢詩があります。
自分より上手い”まりつき”はいないと誇られ、問われればと
”まりつき”の深い意味も答えておられます。即ち、一二三四五六七と果てしなく続いて
広がる仏の心であり、それが仏法だと。以上の様に、”てまり心”には三つの視点があると
思いますが、凡人には仏法だと言われてもいまいちぴんときません。因みに、貞心尼との歌に
『つきてみよ ひふみよいむな やここのとを 十とをさめて また始まるを』があります。
”まりつき”にかけて”私につき”なさい。この繰り返しの中に仏の教えが込められていると。
さらに、栗田勇氏は、”まりつき”行為は坐禅と同じ働きがあり、一瞬でも心を動かすと
”まり”は外れるので、文句なしに無我の境地になれたのではないかと言われています。
何となくわかるような気がしますが。
この作品には、愛に至る数の六がデザインされています。また、三つの層にくるまれていて
安定感があり、落ち着きます。良寛さんの心のイメージに相応しいと感じます。
『包む』 良寛さんの”てまり心”を人の手で優しくくるんでいるイメージが伝わってきます。
その上に、直感的に雲を想像し、ありのままの自然と永遠に続く宇宙をも感じてしまうのです。
良寛椿の会会員 早川 正弘