良寛の魂とむき合う詩人
良寛と、真剣にむき合っている人がいる。文章を読み始めて、すぐ、そんな意識が私に生まれた。さらに、読み進むと、それに、詩人という言葉を付け加えたくなった。この方は、詩人だ、と。
良寛の生涯を丹念に辿りながら、書き進められて行く文章には、ヨーロッパのもろもろの哲学者、また、詩人達の名前がポンポンと飛び出して来た。古くは、エピクロス、ニーチェ、また、マラルメ、リルケなど。この人は、よほどヨーロッパ世界を勉強し、文学、哲学等を読んでいる人だと、感嘆するばかりだった。
こういうヨーロッパ的視座に立っての良寛論は、あまり見ない。ヨーロッパの歴史や文学、思想を学び、考えて来た人ならではの視座が、あったからこその良寛論に思えたのである。私の狭い、読書では、吉本隆明氏が、良寛の存在を、「アジア的思想の視野」から見た良寛として、指摘しているのが唯一だったからだ。
北川省一。この人の『良寛遊戯』を読み進んでいた時の、わが感懐だった。「おわりに」を読んでいたら、全てが氷解した。
北川氏は、ニーチェや荘子の視点で、良寛を見つめてみた、と書いていた。また、「私としては、良寛を宗門や郷土史の枠から解き放って、洋の東西古今を通じて稀有な純粋さを保った人間の一原型として、定立したかったのである」とも述べている。
そういう指摘を考えてみると、確かに、良寛の残した作品から、私達が受け取るものの奥にある、良寛の純粋資性が浮かんでもくる。
北川氏は、良寛に巡り会った時、自分の生活の困難が極まっていた時だとも、回想している。そんな時だったからこそ、良寛の言葉が身にしみたのだとも、述べている。つまり、良寛との、魂の出逢いと言っても良い経験を、北川氏は味わったのだろう。
私は、良寛の詩歌や書を観たり、読んだりして、自分の感性が感応するものだけを、書いている。そういう態度が、日頃の、良寛さんとの付き合いだ。ただ、北川氏のこの『良寛遊戯』を讀み終えて思うのは、このくらい勉強や、読書をしないと、良寛を全体として論じる事は出来ないなあ、と、反省させられた著書でもあった。良寛論、白眉の一冊ではなかろうか。
北川省一『良寛遊戯』アデイン書房( 昭和五十二年十月三十日)