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椿
良寛と『漢字三音考』    米子市 大原 啓道
2024/07/02
活動レポート

良寛について、諸々の本を読む様になった。そんな本の中には、良寛年譜が記載されている本もある。そこを読むだけでも、彼の生涯が、彷彿としてくるときがある。

また、良寛の生きた時代の、同時代史的な文化現象や、歴史的事象等も記してあると、それらからも、何かを考えさせられる時もある。内山知也氏の、『草堂集貫華』についての著作も、そういう一冊だった。

例えば、良寛七十才の時の事象として、「貞心尼、秋に来訪」とあると、良寛と貞心尼との、熱い思いの相聞歌の事が思い出される。今回、年譜を読み返した時には、その後に書いて有った短文に、心がひっかかった。

『「漢字三音考」に執心する。』一八二七年、良寛、七十才の時の項にある一文だ。「執心する」とは、その著作を手に入れたいとか、読みたい気持ちが、堪らなくあるという事だろう。一度目に、ここを見た時には、貞心尼のことを思い出した。だから、その一文を全く注意しなかった。

 

この『漢字三音考』が、本居宣長の著作である事が、最近、あるきっかけで分かった。分かると、がぜん、興味がわいてきた。本居宣長は、江戸期の国学の大学者である事は周知のところである。良寛、二十八才の時に、この著作は刊行されていた。

『良寛書簡集』の中には、弟の由之宛や、菓子屋の三十郎宛の手紙の中に、石地にある内藤家にその著作があるから、それを借用してくれと依頼している良寛の手紙がある(注)。よほど、当時の良寛は、この著作を読みたかったのであろう。彼の向学心にも感銘する。

ついでに記せば、良寛の幼少期の項には、賀茂真淵『万葉考』成る(三才)、 とか、本居宣長『古事記伝』起稿(七才)等が書いてある。良寛四十一才の項には、『古事記伝』成るともある。

 

さて、七十才の良寛は、『漢字三音考』の何に、心を奪われたのであろうか。そんな事を考えていると、私も、その著作を読んでみたい衝動に駆られてくる。

 

注:谷川敏明 編『良寛書簡集』恒文社、書簡番号8と9(弟宛)と、同219(菓子屋三十郎宛)にある

 

(2024年2月16日)