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椿
良寛の育った時代   米子市 大原 啓道
2024/07/02
活動レポート

良寛を扱った著作は多数ある。そんな本の中には、良寛の年譜やその時代の動向、また、文化史に残る書物まで記載されているものが時にある。

良寛の生長に伴う事象や、彼の生きた時代の社会現象、政治の現象など、単単と、経年的事実が書いてあるだけではあるが、それらをたどって、みているだけでも、時に、私達の想像力に訴えてくるものがある。

 

例えば、良寛は、1758年の生まれである。生長に伴う自然現象では、天明の浅間山の大爆発(1783年)。あるいは、三条の大地震(1829年)。政治面では、松平定信の老中への就任や、田沼意次の失脚。やがて国難となる、アメリカ船の長崎来航(1803年)などが記してある。

また、文化史的な記載で多いのは、やはり、その時代を代表する書物であったりする(事項の引用は、『良寛詩 草堂集貫華』内山知也 著より)

 

 1760年 賀茂真淵『万葉考』成る  (良寛4才)

 1785年 本居宣長『漢字三音考』  (良寛28才)

 1791年 山東京伝、洒落本で手鎖

 1798年 本居宣長『古事記伝』   (良寛41才)

 1802年 十返舎一九『東海道中膝栗毛』

 1815年 杉田玄白『蘭学事始め』

 1819年 小林一茶『おらが春』   (良寛62才)

 1827年 頼山陽『日本外史』    (良寛70才)

 

これらを眺めていると、良寛の生きた時代には、高校の歴史の教科書には、必ず載っている、歴史事象が生起し、様々な書物も書かれている事がわかる。これらから想像してみると、良寛の生きた時代は、文化が円熟していた時代でもあり、日本が江戸から近代への扉を、叩こうとしていた時代でもあった事が、歴史の流れとして自然と浮かんでくる。

 

そういう時代背景の中で、良寛は生を受け、育ち、宗教修行に励み、和歌、漢詩、書、の創作等を通して、自分の道を探求していたのである。それらは、また、私達の生を写す陰画でもある。

 

(2024年5月1日)