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椿
「長歌」をめぐって    米子市 大原啓道
2025/01/03
広げよう応援の輪

良寛は多くの漢詩を作り、書を書き、また、和歌にも親しんだ僧侶だった。その中で、彼の示しているのは、日々の世相や、あるときは、宗教界への厳しい批判であったり、自己を内省する緊迫した精神であった。

 

ただ、短歌には、日々の叙景や叙事が多い。万葉集を愛読していた良寛らしい歌が、やはり、目につく。とくに、彼の長歌には、珍しく心情の吐露が見いだせる。良寛の晩年の「苦」とか、「嘆声」が随所にある。漢詩などには見られない、良寛がこころの襞を吐露しているところが散見される。

 

長歌の特長を、もう一ついえば、今述べた、万葉集で学んだであろう、枕言葉や歌詞が、縦横に駆使されている事である。それらの点を、少し観てみよう。

 

まず、内面。内なるこころをただ見つめ、正直に、その心情を述べているのが、晩年の長歌の最大の特徴である。それらを読んでいると、現在を生きている私達の気持や心根を、歌ってもらっている気持ちに成るのは、私ばかりではあるまい。各歌、長いので、端折って、引用してみる。

 

(前略)あらたまの 長き月日を いかにして 明かしくらさむ うちつけに 死なめと思へど たまきはる さすが命の 惜しければ かにもかくにも すべをなみ 音をのみぞ泣く ますらをにして(後略)(1241)

 

(前略)荒れたる宿に たをやめが ひとりし住めば なぐさむる 心はなしに なげきのみ 積りつもれば 影のごと わが身はなりぬ(後略)(1247)

 

こんな思いが良寛さんのこころにも湧いていたのだ。良寛長歌を読む時の、わが感懐である。つい、読む者の情が、つのってしまうような言葉が、連なっているのである。

 

また、先きにも述べた様に、万葉に学んだであろう、枕言葉を縦横に使用する事によって、長歌を形成して行く過程などは、座右に於いて、万葉集を読んでいた事の、何よりの証左にもなっている。

 

人として生まれた限り、誰も逃れられない、老齢、老身と成った自分を見つめながら、それを長歌の中に閉じ込めて行く詩人良寛。それを想像してみると、枯れ往く良寛の気持ちも、自ずと伝わってくるのである。

 

*引用及び番号はすべて『良寛歌集』吉野秀雄 校註・平凡社東洋文庫(1993年)より

 

良寛は多くの漢詩を作り、書を書き、また、和歌にも親しんだ僧侶だった。その中で、彼の示しているのは、日々の世相や、あるときは、宗教界への厳しい批判であったり、自己を内省する緊迫した精神であった。

 

ただ、短歌には、日々の叙景や叙事が多い。万葉集を愛読していた良寛らしい歌が、やはり、目につく。とくに、彼の長歌には、珍しく心情の吐露が見いだせる。良寛の晩年の「苦」とか、「嘆声」が随所にある。漢詩などには見られない、良寛がこころの襞を吐露しているところが散見される。

 

長歌の特長を、もう一ついえば、今述べた、万葉集で学んだであろう、枕言葉や歌詞が、縦横に駆使されている事である。それらの点を、少し観てみよう。

 

まず、内面。内なるこころをただ見つめ、正直に、その心情を述べているのが、晩年の長歌の最大の特徴である。それらを読んでいると、現在を生きている私達の気持や心根を、歌ってもらっている気持ちに成るのは、私ばかりではあるまい。各歌、長いので、端折って、引用してみる。

 

(前略)あらたまの 長き月日を いかにして 明かしくらさむ うちつけに 死なめと思へど たまきはる さすが命の 惜しければ かにもかくにも すべをなみ 音をのみぞ泣く ますらをにして(後略)(1241)

 

(前略)荒れたる宿に たをやめが ひとりし住めば なぐさむる 心はなしに なげきのみ 積りつもれば 影のごと わが身はなりぬ(後略)(1247)

 

こんな思いが良寛さんのこころにも湧いていたのだ。良寛長歌を読む時の、わが感懐である。つい、読む者の情が、つのってしまうような言葉が、連なっているのである。

 

また、先きにも述べた様に、万葉に学んだであろう、枕言葉を縦横に使用する事によって、長歌を形成して行く過程などは、座右に於いて、万葉集を読んでいた事の、何よりの証左にもなっている。

 

人として生まれた限り、誰も逃れられない、老齢、老身と成った自分を見つめながら、それを長歌の中に閉じ込めて行く詩人良寛。それを想像してみると、枯れ往く良寛の気持ちも、自ずと伝わってくるのである。

 

*引用及び番号はすべて『良寛歌集』吉野秀雄 校註・平凡社東洋文庫(1993年)より