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椿
良寛~二つの無心~     米子市 大原啓道
2025/01/03
広げよう応援の輪

良寛さんの残した

ピソードは、たくさんある。一冊の本にすらなっている(注)。もろもろの逸話の中でも、村の童達と「手まり」に遊ぶ良寛は、やはり、一番知られていることだろう。孤独な、道を求める僧侶が、托鉢の帰り道、童たちと一緒に遊び、興ずる姿は、絵にもなる。良寛さんは、かなりの腕前でもあったと云う。

 

「手まり」をつくには、集中するこころが必要だ。ある時は、てまり唄を歌い、順番がくればいくらでも、うちつづける良寛の姿。それをやっている時には、彼は、無心だったろう。一切を忘れて集中するだけ。ただ、打つ。つまり、「只管打立」でなければならないのが、手まりだ。

 

曹洞宗の宗祖、道元が求めた禅の一語は、「只管打座」だった。ただ、座る、という一事に統べてがこめてある。「座る」ということと、立ったまま無私に手鞠を打ち続けると言う事。二つの行為は、無心と言う共通の糸で結ばれてはいまいか。

 

こういうこじつけには、無理はあろうが、ふと、思い浮かんだ考えである。

 

円通寺を去り、道を一筋にもとめながら、修行に励む一人僧。方々を行脚した果に、彼は、古里にかえった。そして、托鉢に務めながら、日々の修行や読書も、やはり怠らなかった。

 

やがて、良寛は、村人達、童たち、さらには、地方での、知名人達とも交流をする様に成ってゆく。幼き日々の自分に成っている人間を、良寛は素直に受け入れたに違いない。

 

そういう日々の中でも、最後まで、良寛の求めていたもの。それは、なんだったのだろう。そんな問いが、今、頭を離れない。

 

(注)『愛の人 良寛 ~生涯とエピソード~』野積良寛研究所 令和6年4月発行