良寛の秋の歌
良寛は、「観る人」である。彼の漢詩や文章を読むと、いつも、
良寛はまた、「耳の人」でもあったのではないか。彼の、
例えば、五合庵の夜の一瞬であろうか。静寂の中に、
さ夜ふけて 高嶺の鹿の声きけば 寝ざめさみしく 物や思はる(522)
秋の野に 誰聞けとてか よもすがら 声ふりたてて 鈴虫の鳴く(435)
このような歌を、素直に詠めるところに生まれるのが、
さらに、私達も、夏から、季節が秋になれば感じるものに、「風」
さびしさに草のいほりを出でてみれば 稲葉おしなみ秋風ぞ吹く(285)
何となく うらがなしきはわが門の 稲葉そよがす 初秋の風(287)
また、「月」については、かなりの数の歌を残している。私達も、
あしひきの国上の山の松かげに あらわれいづる 月のさやけさ(336)
小鳥のねぐらにとまる声ならで 月見る友もあらぬ山住み(342)
秋の夜の月の光を見る毎に 心もしぬに いにしえ おもはゆ(348)
後者の歌など、まさに、万葉集の言の葉を、そのまま使っている。
こうして、良寛の「秋の歌」を読み、
では、こんな歌はどうだろう。
秋の雨の晴れ間に出でて子供らと 山路たどれば裳のすそ濡れぬ(294)
秋の夜はながしといえどさすたけの 君と語ればおもほえなくに(298)
「君」は、阿部定珍をさし、彼に送った歌だと言う。
また、子供を歌った短歌には、いつも、
秋の短歌の全体を見ると、
註)万葉集の中の歌に、次の和歌がある。
近江の海 夕波ちどりながなけば 心もしのに 医師紫衣おもほゆ