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椿
良寛の短歌  秋の歌    米子市  大原啓道
2025/03/02
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良寛の秋の歌

 

良寛は、「観る人」である。彼の漢詩や文章を読むと、いつも、そう思う。日常の事、世の中の事、自然現象などを、常に、鋭く捉え、考え、表現している。

 

良寛はまた、「耳の人」でもあったのではないか。彼の、秋の短歌を読んでいたら、つい、そんな感想が生まれた。

例えば、五合庵の夜の一瞬であろうか。静寂の中に、聴こえてくる鹿の鳴声。あるいは、現在の私達でも、秋ともなれば、夜中に聞く虫の音や、鈴虫の響きを、良寛さんも聴いている。

 

 さ夜ふけて 高嶺の鹿の声きけば 寝ざめさみしく 物や思はる(522)

 秋の野に 誰聞けとてか よもすがら 声ふりたてて 鈴虫の鳴く(435)

 

このような歌を、素直に詠めるところに生まれるのが、良寛の情調の流れであり、やはり、良寛短歌に私達が、惹かれるゆえんであろう。

さらに、私達も、夏から、季節が秋になれば感じるものに、「風」がある。読んで行くと、こんな短歌がある。

 

 さびしさに草のいほりを出でてみれば 稲葉おしなみ秋風ぞ吹く(285)

 何となく うらがなしきはわが門の 稲葉そよがす 初秋の風(287)

 

また、「月」については、かなりの数の歌を残している。私達も、ある夜、外にでて見上げれば、ひょっとしたら、相遇する光景である。

 

 あしひきの国上の山の松かげに あらわれいづる 月のさやけさ(336)

 小鳥のねぐらにとまる声ならで 月見る友もあらぬ山住み(342)

 秋の夜の月の光を見る毎に 心もしぬに いにしえ おもはゆ(348)

 

後者の歌など、まさに、万葉集の言の葉を、そのまま使っている。良寛が、この集を、よく読んでいた証左でもある(註)。

 

こうして、良寛の「秋の歌」を読み、印象に残った事を書いていると、現在の我々でも感じる、自然の風景や光景を、良寛が書いている事にかえって感銘してしまう。

では、こんな歌はどうだろう。

 

 秋の雨の晴れ間に出でて子供らと 山路たどれば裳のすそ濡れぬ(294)

 秋の夜はながしといえどさすたけの 君と語ればおもほえなくに(298)

 

「君」は、阿部定珍をさし、彼に送った歌だと言う。心の友に対して、秋の夜長を一夜、共に語り明かしたい心情であろう。

また、子供を歌った短歌には、いつも、なに飾ることのない彼の心がひそんでいる。

 

秋の短歌の全体を見ると、山の中の五合庵という孤独な家屋に生活をしながら、その時間の中で、彼の感性に訴ったえてくるものの存在を、見事に歌っている事が伝わってくる。そこには、歌人、良寛のこころが脈打っているのがわかる。

 

 

註)万葉集の中の歌に、次の和歌がある。

 近江の海 夕波ちどりながなけば 心もしのに 医師紫衣おもほゆ