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椿
坐禅のやり方   米子市 大原啓道
2025/05/01
広げよう応援の輪

円通寺公園に、厚い、広い巨岩石がある。良寛も、修行中、そこに座り、座禅を組んだと言うエピソードすら生まれている。

 

禅の修行は、まず、座禅に始まる。そして、それに極まる。いわゆる、道元禅の「只管打座」という究極の姿である。ただ、その禅のやり方にも、踏むべき順序がある。

 

その一つは、「止観」という。「止」とは、じっと、一つのことを正視、考える事だと言う。すると、自分のこころも、やがて、その対象のものと一致する様になる。対象が、佛様であれば、思いが実現すれば、最高であろうが、そう簡単な事ではない。ただ、その一念を貫くしかない。

 

また、「観」とは、諸々のものに対して、思惟を広げることだ。森羅万象、まさに、世のあらゆる物象に対して思い、考え続ける事が、その特長だ。その果に、佛の姿を拝めれば理想である。

 

良寛の禅は、どうだったのであろうか。

 

良寛は、自他の世界に対して、諸々のことを、ある時は漢詩に、また、ある時は、和歌や書にかいている。そういう道を一生選んだ。

 

そういう事象から見ると、良寛の禅は、円通寺の修業時代は、「止」であり、円通寺を出奔してからは、「観」の世界に入った様に思える。その「観」の世界の産物を、私達は、享受し、親しんでいると言えようか。