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椿
学問的アプローチの書   米子市 大原啓道
2025/05/01
活動レポート

 

長谷川洋三氏の、『良寛禅師の真実相』(木耳社刊)を読んでいる。いつもは、一冊の本なら、二、三日で読み終え、それから読後感を書くのだが、この著作は、なかなか、読み終えれない。読みながら、常に、自分の無学を、ムチ打たれている感じである。

 

この著書を読んでいて、まず、思うのは、長谷川氏の學者としての、また、研究者としての姿勢である。

 

研究とは、まず、その対象の真実を追求し、そのためには、対象の分析、批判を行い、その結果を公表して、他者からの、意見や批判を受ける。そういう基本が、一貫して、この著書には流れている。

 

この著書は、多くは、良寛の「漢詩」が考察の対象となっている。

 

例えば、長谷川氏が、一つの漢詩をとりあげて論じる場合、その漢詩のこれまでの解釈や、訳を、比較したり、批評したりしながら進めて行かれる。そして、最後には、自分の見解を述べ、その批判を願うと言う形で、文章を構成されている。

 

その論の、持って行き方に、私は、説得され、感服する。読んでいると、そんな思いを常に持たざるをえない。長谷川氏は學者だ。真実の探求とは、こういう態度で臨む事を言うのだ、とつくずく思う。

 

長谷川氏は、著書の中で、一貫して、「良寛禅師」という言葉を使っている。良寛の「こころ」は、「法格」(佛格)にまで達しているから、それ以外の呼び方では、語れないという。そこまで言える理解を、私は持っていない。

 

まだまだ、読み進まねばならないが、途中での感想を言えば、この著書は、再読、三読に値する作品である。近年では、稀な、じっくり読みたい、また、読める著書である。