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椿
良寛の悟り      米子市 大原啓道
2025/05/01
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良寛は、若き日、玉島・円通寺において、十二年間、禅の修行に励んだ。大忍・国仙和尚の薫陶を受けた、一番弟子だったと言ってもいいだろう。

 

その若き日を、振り返った漢詩の中で、ある人物のことを、敬愛をもって述べる漢詩を書いている。それは、兄弟子の仙桂和尚についてである。彼は、日々、典座を勤め、修行僧たちに食事をまかなっていた。畑で野菜をとり、黙々と、典座という務めに徹していた。それだけを、日々、淡々とやっていた。良寛が、ひたすら、全てをかけて、禅修行の道に励んでいた日々だった。

 

仙桂を、自分は修業時代には、何とも思わなかった。しかし、あの姿こそ佛への道と、やっとわかったという。これは、良寛の一種の、悟りであろう。

 

国仙和尚の死後、良寛は、円通寺を出て、その後、寺と言う宗門には、一生入らず、ただ、托鉢で日々を過ごし、道を求める生涯を送った。

 

仏陀は、悟りを開いた後は、庶民の中に入り、道を説いた。良寛は、その原点を目指した人であったように思われるのである。その心底には、常に、「一切衆生悉有仏性」という実践的精神が活きずいていた。