越後にも遅い春がやって来た。心待ちにしていた日々だった。さっそく、良寛さまの、五合庵をおたずねする事にした。ご迷惑にならないだろうか。そんな思いも、つい、よぎった。でも、お会いしたい気持ちには、勝てなかった。手料理を、わずかばかり作り、五合庵をお訪ねしたのは、桜のつぼみが、少し膨らみ始めていた日の、お昼前だった。
良寛様は、たいそう、お喜びくださった。「さあ、お上がりなされ、貞心尼どの」と、顔を、ほころばせて、おっしゃって下さった。
山中での冬の庵の生活は、さぞや大変であったろう。良寛様は、少し、お痩せになられたようにさえ思えた。「歳も歳ですからのう、やはり、寒さはこたえます」と、しみじみとおっしゃった。でも、四方山の話しをしている内に、どこか、生気がみなぎってこられた。
「貞心どの、今日は、一つお頼みがござる」
「なんでございましょう、わたしに、できますことなら、何なりと、お申し付けくださいませ」
良寛さまは、真剣なまなざしを向けられ、話された。
お話は、自分も齢を重ねたせいか、近頃は、おなかの調子も、度々悪くなる。もう、そろそろ、仏様のお迎えがくるやも、しれない。生涯を振りかえることも多くなった。それゆえ、わたくしに、自分の思いを語っておきたいが、付き合っては、くれまいかということだった。願ってもないお申し出だった。
良寛さまの生涯を知りたいとは、以前から考えていたことだった。でも、そんなことを、わたしごときが、お尋ねするのは、はばかられる。それを良寛様が、自ら語ってくださるという。何という幸せであろう。わたくしの思いは、あふれんばかりであった。ただ、良寛さまの語られることを、受けとり、書き留めればよいのだろうか。それだけが気にかかる。
良寛様が、何代も続く、大庄屋のお家にお生まれになったことは知っていた。長子ゆえ、家を継がれてゆくはずであったが、それを次男の方にお譲りになった。そして、若き日に、出家をなされた。そのくらいのことは存じ上げていた。そのご生涯を、わたくしに、語ってくださる。心は震えざるを得なかった。
良寛さまは、備中の国、玉島に行かれた若き日の事から、お話を始められた。