良寛様の漢詩には、とても難しいものがたくさんある。
でも、お会いして、いろいろのことを見聞きしていると、なるほど、こんな心情でいらっしゃるのか、というような漢詩も、時にはある。「草庵雪夜作」などは、そうではないだろうか。近頃の作で、寒い冬の夜に、おそらく書かれたものであろう。書かれていることを読むと、良寛様の眼差しが、どのようなものであったか、また、今の心境が、伝わってくる。
孤独な五合庵での生活を、なさりながらも、やはり、世の中には、ちゃんと目を向けて、考えていられるのだ。
良寛様は、いま、七十代にさしかかっていられる。
わたくしなどが、世の中に起きる物事を見ていても、やはり、人間では、どうしようもない出来事があったりする。それが、世の常だ。天災という言葉があるが、地震などその証しだろう。
それを、世の中が、乱れているから、こんなことが起こるのだということを、述べられた漢詩も、むかし、良寛様は、書かれたことがあった。でも、人の力では、いかんとも、し難いのが自然のおそろしさ。
そういう諸々を、看破するのも、飽いてきたと、この漢詩では、告白されているような気がする。そして、結局人間は、一人なのだという、嘆きにも近い感懐を、持たれたのであろうか。こんな、わたくしの勝手な想いなどは、人様に、いう必要はないだろう。
でも、そんな嘆きを、心中深くお持ちでも、日々の、庶民との交わりの中では、
ひとつもそんな、素振りなど見せられない。
例えば、よく訪れて、お酒の、いっぱいを所望される、庄屋様の所の、口の悪いお女中などは、良寛様のことを、カラスとさえ徒名されている。黒い衣の、お酒のみさん、なのだそうだ。良寛様は、そんなお女中の言葉を、平気で笑い流されている。笑いながら、お酒をいただきになる姿は、ふつうの人だ。
また、商家からの、お招きがあったりして、夕餉をいただかれたりすれば、当然のごとく、家人は、良寛様の書を一筆、と所望されることがよくあるようだ。
これまでも、何枚も、書いて差し上げた商家は、たくさんある。「日頃、いろいろ生活に必要なものを、差し入れてもらうからのう、そのお礼で、ござるよ」と、これまた、平気でおっしゃる。
最近では、良寛様も、お歳を、めされたことでもあるし、五合庵から、自分の家の離れに、越してこられるよう、申し出られる方も、時々いられるようだ。
越後の冬は厳しく長い。老いに、寒さが堪えるのは、誰しものこと。良寛様が体調をお崩しにならないうちに、そういう方の隠居所へ、引っ越されるのも、良いのではないかと、わたくしも、思い始めている。
五合庵での一人の生活は、誰が見ても、大変な苦労がおありだろう。山の坂道を、薪を運んだり、時には、托鉢に出られてきた何十年。骨身にしみる、という言葉通りではなかったかと思う。そんなことは当たり前だと、厳しく自戒されて、始められた孤独な庵での修行だった。
「言わざれば 憂いなきに似たり」とも、どこかに書いておられた。
きっと、良寛様の心の中では、いっぱい、諸々の憂いが合ったはず。それが、今では、誰もが、うなずくようなお言葉を話され、また、書いて述べてくださるから、皆様が、心から、良寛様をお慕いするようになったのだ。
こういう方が、一人おられるだけで、私たちの生活が、どんなにか、豊かなものに成るかを、わたくしは、しみじみ思う。
いつまでも、元気でいてほしい。それが皆様の願いでもある。
「お世話になるのは、心苦しいことです。けれども、寄る歳波には勝てぬのう、貞心どの」と、おっしゃることもある。
「そうでございますよ、良寛さま。皆様がとても、心配していられます。ぜひ、お心を、お決めくださいませ」。
先にお会いしたときには、そう申し上げておいた。
「もう少し、考えてさせて、くだされ」。
あの時は、そう言われたが、あれから、お会いしていない。そろそろ、お目にかかりに出かけてみよう。そして、わたくしからも、お頼みしてみよう。





