玉のつゆ(十三)~良寛様の悟り~ 米子市 大原啓道
2026/03/09
広げよう応援の輪
托鉢は、僧侶にとって、大切な修行の一つである。これを行い、訪ねた家々で、念仏を唱えることによって、庶民にも功徳を分かち、自らは、仏の道をさらに深める。庶民、衆生は、その見返りに、お布施を行う。日々の生活の中で、長い間、自ずと行われ、守られていることである。
その托鉢に出る日が、いつも、天候の良い日とは限らない。秋の終わりともなれば、秋雨に、突然おそわれたり、時には、氷雨になったりすることもある。越後に住む人々は、それにあえば、やがて、冬支度の始まりと考えていた。
良寛さまも、托鉢の最中に、そんな強雨に、遭われたりすると、ときには、御堂や神社などに、雨宿りされたこともあったに違いない。そんな時は、当然ながら、頭陀袋や鉢の子しか持ち合わせていない。雨のみならず、時には、冬さなか、雪の降る中での、托鉢行もあったことだろう。
「そんな時にはのう、やはり、天を仰いだものでござるよ。でも、なぜか、
妄想や煩悩からも、解き放たれた気持にもなったものです。雨や雪が、それらの邪念を、かえって、洗い流してくれたのだと感じたのです。これこそ、無物の、仏の道なのだと思うと、かえって喜びもわき増したぞ」と。
何という悟りであろう。私は、驚嘆してしまった。あんな言葉を聞くと、そう信じざるを得なかった。良寛さまは、もう、どなたにも頼ることのない、独自の仏の道を見いだし、歩かれていられるように思えたのだった。





