「良寛」と言う名前に初めて触れたのは、書店で手に入れた、道元全集のパンフレットに載っていた「字」を見た時だった。「愛語」という有名な道元の言葉を書き写したものだ。漢字とカタカナで書かれた、その震える文字になぜか惹かれた。内容を理解した訳では全く無かった。また、道元を読んだわけでもなかった。単に、色々、全集のパンフレットを集めていた時だったからだ。
ただ、パンフに載っていた、「愛語ハ愛心ヨリオコリ愛心ハ慈心ヲ種心トセリ」と言う言葉だけが、何故か、ぐっと、わが心に沁み込んだ。その書写しの最後に、良寛という署名があった。稚拙と言ってもよいような文字の羅列であったが、何故か心を揺すられたのを忘れない。良寛文字との感性の出会いであった。それから良寛さんは、頭の片隅にいた。
もうかなり昔になるが 出張で、新潟市に行った事がある。用事が終わった後、出雲崎に行った。
その時、良寛の生家跡に在る座像を見た。良寛が、母の故郷、佐渡を見つめている像だった。その横にあった宿で泊まった。すぐ前の国道の向こうの海に、荒々しい波が打ち続けていたのも忘れない。
翌日、バスに乗り、良寛の跡を訪ね歩いた。その先々で、色々の良寛の書のコピーを買って帰った旅だった。
全く何が書いてあるかわからない漢詩や有名な「天上大風」等だった。道元のあのパンフレットの文字とは、全く別人が書いたとしか思えない物も色々あった。
その中で、「草庵雪夜作」の詩がとても気に入り、竹の額に入れ壁に飾り毎日見るようになった。彼が、人生を振り返り、自分の道を詠っている詩だ。現在、私も、七十六才に成ったが、そのかすれた文字の詩は心を打つ。良寛さんとの本当の出会いは、これからだ。2,022/10/18 大原啓道