冬は豪雪に閉ざされる厳しい風土の中で生まれた良寛(1758-1831)。出雲崎の名主の長男でありながら家督を継がず、禅僧として道元の『正法眼蔵』の思想を探究し、権力や社会的地位に寄り掛かって楽をして生きるのではなく、托鉢の行を通して自ら乞食僧(こつじきそう)に徹し、富貴権力を求めず、一人の僧侶として常に人間にとって生きる真の価値とは何か、生きる上で本当にかげがえの無い大切なものはとは何かを尋ね究め、稲作地越後蒲原平野国上寺の五合庵で道元思想を実践した良寛。また生涯独身でしたが、晩年良寛70歳の時、凛として知性溢れる貞心尼30歳と和歌を通し高い精神次元で心を交えた慈悲慈愛の良寛。
明治生まれの両親(新潟県柏崎出身)から越後人のDNAを受け継いだ私は、雪月花の四季のある悠久の日本の風景とその景観を愛でる風雅な心、童心のような無垢な心で子供達と一緒に手毬で遊び、欲を持たず決して怒らず心穏やかに自然に寄り添いつつましく謙虚に生き、死ぬ直前まで約500首の漢詩と約1400首の和歌を読み続けた良寛の精神哲学を学び、良寛の心で風景を描いて行きたいと思います。
最後に今の自分に通じる良寛の3つの句があります。「世の中に交じらぬとにはあらねども独り遊び我はまされる」世間のしがらみに関わりを持たないわけではありませんが、独り静かに読書や思索に耽り、あらゆる一流芸術に触れ自らの感性を磨く孤高な精神世界に遊ぶことが一番の喜びなのです。
「雨晴れて雲晴れ、気また晴れる、心清らかなれば遍界物皆清し、身を捨てて世を棄てて、間者となり、初めて月と花とに余生を送る」雨が晴れて気分が爽やかになりました、心が晴れると世の中が清らに見えます、学歴や肩書、経歴など箔がつく人生や見栄を張って生きる事を捨て、また人生の逆境や挫折を経験をしてみて初めて月や花など何気ない自然の移ろいを楽しむ心のゆとりを持って余生を送ることができました。
「生涯身を立つるにものうく、謄謄天真に任す」生涯立身出世の道を求めず、自分の信じた道を一生懸命真摯に天命に任して無心に生き切る。そうした自分の生き様を風景画や文章として形に残す。私は清貧に生きた良寛の「崇高な精神」を自らを律し、コロナ禍の中の混迷の現代文明社会に生きる者の[形見]として次世代に日本の美しい里山風景を描き残して行きたいと思います。