良寛と竹
良寛さんには、いろいろの逸話が残っている。有名なものでは、晩年に、托鉢の帰りなどに、手まりを子供達とついて遊んだ事。泥棒に、入られた時、わざと自分の寝る布団を、与えた事。もろもろあり、みな、心温まる話が多い。
私は、「筍」の話が好きである。
日々、一人で暮らしていた五合庵の、厠(かわや、つまり、トイレ)に行く廊下の下に、何故か、筍が、によっきと生えて来た。その先端が、板に突きそうになってきたのに気づいた良寛。そのとき彼は、廊下の板を、丸くくり貫いて、筍がそのまま伸びるようにした。筍の伸びるのは速い。さらに、伸びて来た時には、今度は、屋根に穴を空けようとした、云々。
良寛は、「竹」が大好きでもあった。こんな漢詩がある。
宅邊有苦竹 冷々數千干
箏迸全遮道 梢高斜拂天
經霜陪精神 隔烟轉幽間
宜在松柏列 那比桃李妍
竿直節彌高 心虚根愈堅
愛汝貞清質 千秋希莫遷
宅辺に苦竹有り 冷々として数千千。
箏は迸って全て路を遮り 棺は高く斜に天を払う。
霜を経て精神を陪い 烟を隔てて転幽間。
宜しく松柏の列に在るべし 那ぞ桃李の妍に比せん。
竿直にして節いよいよ高く 心虚にして節いよいよ堅し。
愛す汝が貞清の質 千秋希わくは遷す莫れ。
最後の二行、「愛汝貞清質 千秋希莫遷」の訳は、「わしは竹の貞堅、清直なところが好きである。いつまでも、そのままであってほしい」とある。これなどは、良寛の性格、精神が、竹への共感を通して見えてくる。
晩年、托鉢の帰り道、子供達と手まりを突き、或は、時に友人と酒を酌み交わし、囲碁をたまには打つ。そんな姿も、確かに、良寛さんの人柄を、彷彿と伝える。親しみやすく、好々爺、となった晩年の良寛の姿である。
ただ、その一方、何物にも動ぜず、一徹に一筋の道を貫く精神。それもまた、良寛の人格の特筆すべき点である。そういう面は、漢詩等の数々に、表現されている。世の中の万象を観て、感じて、考え、批判し、生み出された良寛質とでも呼ぶべき精髄がそこにはある。
良寛が、竹を好むといい、竹に托した想いもまた、それに通じるものではなかったろうか。